私は、死ぬと思う。
何がどうなってこうなったのか。
その時になるまでは、分からなかった。
ある日、突然にその声は聞こえて来た。
部屋の窓から。
その声と話だけした私は、 自分の頭がおかしくなったのだと落胆した。
それと共に、自分には考える幅があるのだろうと安堵したのだ。
その内容は、違法薬物についての改善点で、 それは自らが自らを戒める為に行う儀式の様なものだと思った。
その儀式は、間隔を置いて幾度と無く続く。私が、 違法薬物を摂取する度に。
少し遡ると私に、そんな事が起こる事は無かったと思える。
何故なら私は、その儀式について疑問に思うのだ。何故、 そのタイミングで私と接点を持ったのか。
その『点』は、何処から来たのか不思議でならなかった。
私の中に、その戒めはあれど、 苦労するという点は無かったからだ。
他者からの戒めは、特に。
私は、何を望むのかを自分で決定し生きて来た。 誰の助言も聞かず。
自分の望みを信じ希望に変えて、 自分の中の自分と自問自答しながら生きて来た。
それはとても困難を極め、進めば進む程に、 他人との差が顕著に出る。
このまま生きて行く事は、難しいと思ったていた。
しかし交友関係や恋愛を重ねる程に、それは歪み、 緩やかになって行く。
私はそれを喜んだ。
私が、刑務所へと行く少し前、 母が経営する水商売の店を手伝っていた頃、 1人の男が私の前へと姿を現す。
「初めまして、お名前は?」
「どうも、ウサギです」
にこやかに笑いながら冗談を言うこの男について、 私は特に何とも思わなかった。この時は。
けれど頻繁に来ては、賑やかに過ごすこの男を私は、 少し怪訝に思う事にした。
何故なら私は、このタイプの人間を信じない。 浅く広くの関係を好みはしない。
しかし店の経営へとダイレクトに響く為に私は、上辺で笑い、 楽しくしていた。
心底楽しく無かったと言えば嘘になるが、 そこまでの感情は無かった。
ある日、彼は私たちと旅行へ行くと申し出た。
私の母は、了承し店の女の子は喜んでいた様に思う。
私は、あまり乗り気では無く、 この頃には違法薬物に手を出していて、 特にそれを問題とはしていなかった。
そんなある日、私の家に警察が来る。
特に焦る事も無く、その時が来たのかと思った。
その最中、旅行は決行され土産話を、面会室で聞いた私は、 無事に帰って来てくれて良かったと、胸を撫で下ろすのだ。
その後、私は過ちを正せずに、その進路を自首という形で償った。
私の人生において、必要か不必要かは分からなかった。 けれど後悔し、それは払拭されたかの様に思われたが、 何故か私の進む道は、変わらなかったのだ。
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この線は、恐らく今の状態へと進む、途切れた線を、 1つの線へ結ぶ為の落し物。私の落し物を拾う道は、 この時から始まっていた。
その『点』を皮切りに。
- 追記憶1の場合 -
私は、刑務所の独居で1人寝ている時に、大きな解錠音で目を覚ます。
目を開けると3人の刑務官が、覆いかぶさって来る様に思い、飛び起きようとしたが、意識を失い、目を覚ませば次の日の朝だった。
なんの事は無いそれは『夢』と断定された。
その後の日。
「昨日、何処かに連れて行かれて無かったか?」
との問に私は。
「いいや」
とだけ答えた。
―
その後、何も無く出所した私は、また母の働く店で働く事になる。
そのウサギは、たまに顔を出すのだ。
その出所後すぐに道を誤る事となる。
私は、事後1人で家に帰ると異変に気付いた。
声が自分の家の中や、風呂に入っている時にも聞こえて来る。
まるで家の周りに沢山の人が居る様な感覚。それはとても恐怖を感じる程に。
何処かで見られていたのだろうか?
そのせいで何か大事になったのではないのか?そう思って母に相談をした。
けれど違法薬物の話をしたりしただけで疲弊した私は、部屋へと帰り『点』へと出会う。
それからというもの『点』との会話は、進む。私の行為は、正される事無く。
自他共に。
少しの悩みを抱えてはいたものの平穏に、今までと変わらぬ生活を送る。
しかし異変について疑問を抱かずにはいられず、回を増すごとに、私の不満は募り、彼らとの意見の相違は、高まるのだった。
その中で出会った相手と少しの暴力沙汰になるも、私は特に怪我をする事無く落ち込み離れ、その後も変わりはしなかった。
意味ありげな言葉が、胸を撃ったとしても、その的は、もうこの時の私には無かったのかも知れない。
その後、時は来てしまった。
ずっと抱えていた他者との壁が、一方的に壊された事による自負の念に押し潰される日が。
私は、首を吊って死ぬのだ。
けれど、それは紐がちぎれて叶わなかった。13歳頃からの夢。そこはかとなく生きれないと思いながら、38歳まで生きて来た私の最終決定としての『死ぬ』は、ここで途絶える事となる。
それでも私は、生きていた。
少しばかりの期待と諦めの中で。
この時には、まだ『点』の声が、人の作為では無く、自らの中の『何か』と軽んじていた。
その『点』は、次第に長さを増して『棒』へと変化して行く。
- 追記憶2の場合 -
私は、朦朧としている。
体力、気力、集中力、精神力は、ほとんど無く、母を見るだけでも大変だった。
何処からか聞こえる声を拾うのも一苦労だ。
私は、目を閉じる事さえしたく無かった。この異変を拾わなくてはならない。
例えそれが、どんな意味を持とうとも。
母の目線の先。窓や鉄に反射する影。
その判断は、自らの状態を考慮し、それが幻覚か幻聴かを、ふるいにかけて少しばかりの - を集めるのだ。
―
少しでも、その『棒』へと立ち向かう為に。
他人の反応で、それを確かめていた。
用心深い者、軽率な者、善良な悪質な多種多様な者たちにとって私は、一体何なのかを。
その後、私は1人の男性と知り合い。
実家のマンションを出て、夜の仕事もやめて、共同生活する事となったのだ。
彼との生活は、実に楽しく、とても興味深く、それまでの鬱々とした私には、とても重要で必要な時だったと思う。
この時がなければ私は、何をしていたのか、他の選択肢は無いと思える程に。
それは作られたものだったのかもしれない。
けれど、きっと無駄の無い人生の一コマだっただろう。
この終止符は、私の判断ミスで訪れる。
今となれば油断した私が悪かったのかも知れない。
- 追記憶その3 -
私は1人で楽しんでしまっていた。
しかし、それは3回目を迎える頃には、変わっていたのだ。
その『棒』へと向かい、その最後を告げていた。
自らの違法薬物を終わらせる事と『儀式』に対しても。
その時に聞いた声は、回を増すごとに変わって行く。
「早く自分の家に帰れ」
と1人だけ居る私に伝わる。
「これが最後だからと思っている」
と私は伝えた。
その後、私は無事に家へと帰って来るのだ。何も変わらないまま。少しの記憶と思い出をしまったまま。
―
私は、牛丼チェーン店へ従事し、ただそれをこなしていた。特に将来への希望を持たず、その『棒』は、そこまでも及ぶ。
その『儀式』は、仕事中も続き何故か違法薬物を使用して来ていない時にも及んだ。それは共同生活の時に始まっていた。
私は、それをノイローゼと呼び、自らのせいで終わらせていた。
区切りとして私は、最後を迎えたが、終わりを知らず未だに、私の周りには『棒』や『儀式』がまとわりついている。
これを許した記憶は、無く。
これに巻き込まれた記憶を追って私は、1つの結果へと落ちた。
その穴は『科学』という、誰もが知る穴だった。
私は、1人の人間としてこれを綴り、人へと伝える事こそ、生きる様だと認め追う事を、決定した。
一ノ元 健茶勞 より。