今1番面白い!

一ノ元健茶樓のゴブルディガルン

#事件メモ 人類史:最大の事件を追う プライベートなマイアカウントだった。

綴り、残す文

 

 

 

私は、死ぬと思う。

何がどうなってこうなったのか。
その時になるまでは、分からなかった。


ある日、突然にその声は聞こえて来た。
部屋の窓から。


その声と話だけした私は、 自分の頭がおかしくなったのだと落胆した。
それと共に、自分には考える幅があるのだろうと安堵したのだ。


その内容は、違法薬物についての改善点で、 それは自らが自らを戒める為に行う儀式の様なものだと思った。


その儀式は、間隔を置いて幾度と無く続く。私が、 違法薬物を摂取する度に。
少し遡ると私に、そんな事が起こる事は無かったと思える。


何故なら私は、その儀式について疑問に思うのだ。何故、 そのタイミングで私と接点を持ったのか。
その『点』は、何処から来たのか不思議でならなかった。


私の中に、その戒めはあれど、 苦労するという点は無かったからだ。


他者からの戒めは、特に。


私は、何を望むのかを自分で決定し生きて来た。 誰の助言も聞かず。
自分の望みを信じ希望に変えて、 自分の中の自分と自問自答しながら生きて来た。


それはとても困難を極め、進めば進む程に、 他人との差が顕著に出る。
このまま生きて行く事は、難しいと思ったていた。


しかし交友関係や恋愛を重ねる程に、それは歪み、 緩やかになって行く。
私はそれを喜んだ。

 


私が、刑務所へと行く少し前、 母が経営する水商売の店を手伝っていた頃、 1人の男が私の前へと姿を現す。


「初めまして、お名前は?」


「どうも、ウサギです」


にこやかに笑いながら冗談を言うこの男について、 私は特に何とも思わなかった。この時は。


けれど頻繁に来ては、賑やかに過ごすこの男を私は、 少し怪訝に思う事にした。
何故なら私は、このタイプの人間を信じない。 浅く広くの関係を好みはしない。
しかし店の経営へとダイレクトに響く為に私は、上辺で笑い、 楽しくしていた。


心底楽しく無かったと言えば嘘になるが、 そこまでの感情は無かった。


ある日、彼は私たちと旅行へ行くと申し出た。
私の母は、了承し店の女の子は喜んでいた様に思う。


私は、あまり乗り気では無く、 この頃には違法薬物に手を出していて、 特にそれを問題とはしていなかった。


そんなある日、私の家に警察が来る。
特に焦る事も無く、その時が来たのかと思った。
その最中、旅行は決行され土産話を、面会室で聞いた私は、 無事に帰って来てくれて良かったと、胸を撫で下ろすのだ。


その後、私は過ちを正せずに、その進路を自首という形で償った。


私の人生において、必要か不必要かは分からなかった。 けれど後悔し、それは払拭されたかの様に思われたが、 何故か私の進む道は、変わらなかったのだ。

 


----------------

 


この線は、恐らく今の状態へと進む、途切れた線を、 1つの線へ結ぶ為の落し物。私の落し物を拾う道は、 この時から始まっていた。


その『点』を皮切りに。

 


- 追記憶1の場合 - 


私は、刑務所の独居で1人寝ている時に、大きな解錠音で目を覚ます。


目を開けると3人の刑務官が、覆いかぶさって来る様に思い、飛び起きようとしたが、意識を失い、目を覚ませば次の日の朝だった。
なんの事は無いそれは『夢』と断定された。


その後の日。


「昨日、何処かに連れて行かれて無かったか?」


との問に私は。


「いいや」


とだけ答えた。



その後、何も無く出所した私は、また母の働く店で働く事になる。


そのウサギは、たまに顔を出すのだ。


その出所後すぐに道を誤る事となる。
私は、事後1人で家に帰ると異変に気付いた。


声が自分の家の中や、風呂に入っている時にも聞こえて来る。
まるで家の周りに沢山の人が居る様な感覚。それはとても恐怖を感じる程に。


何処かで見られていたのだろうか?


そのせいで何か大事になったのではないのか?そう思って母に相談をした。
けれど違法薬物の話をしたりしただけで疲弊した私は、部屋へと帰り『点』へと出会う。


それからというもの『点』との会話は、進む。私の行為は、正される事無く。
自他共に。


少しの悩みを抱えてはいたものの平穏に、今までと変わらぬ生活を送る。
しかし異変について疑問を抱かずにはいられず、回を増すごとに、私の不満は募り、彼らとの意見の相違は、高まるのだった。


その中で出会った相手と少しの暴力沙汰になるも、私は特に怪我をする事無く落ち込み離れ、その後も変わりはしなかった。


意味ありげな言葉が、胸を撃ったとしても、その的は、もうこの時の私には無かったのかも知れない。


その後、時は来てしまった。


ずっと抱えていた他者との壁が、一方的に壊された事による自負の念に押し潰される日が。


私は、首を吊って死ぬのだ。


けれど、それは紐がちぎれて叶わなかった。13歳頃からの夢。そこはかとなく生きれないと思いながら、38歳まで生きて来た私の最終決定としての『死ぬ』は、ここで途絶える事となる。


それでも私は、生きていた。
少しばかりの期待と諦めの中で。


この時には、まだ『点』の声が、人の作為では無く、自らの中の『何か』と軽んじていた。


その『点』は、次第に長さを増して『棒』へと変化して行く。

 


- 追記憶2の場合 -

 


私は、朦朧としている。
体力、気力、集中力、精神力は、ほとんど無く、母を見るだけでも大変だった。
何処からか聞こえる声を拾うのも一苦労だ。
私は、目を閉じる事さえしたく無かった。この異変を拾わなくてはならない。
例えそれが、どんな意味を持とうとも。


母の目線の先。窓や鉄に反射する影。


その判断は、自らの状態を考慮し、それが幻覚か幻聴かを、ふるいにかけて少しばかりの - を集めるのだ。



少しでも、その『棒』へと立ち向かう為に。


他人の反応で、それを確かめていた。
用心深い者、軽率な者、善良な悪質な多種多様な者たちにとって私は、一体何なのかを。

 

 


その後、私は1人の男性と知り合い。
実家のマンションを出て、夜の仕事もやめて、共同生活する事となったのだ。


彼との生活は、実に楽しく、とても興味深く、それまでの鬱々とした私には、とても重要で必要な時だったと思う。


この時がなければ私は、何をしていたのか、他の選択肢は無いと思える程に。
それは作られたものだったのかもしれない。
けれど、きっと無駄の無い人生の一コマだっただろう。


この終止符は、私の判断ミスで訪れる。
今となれば油断した私が悪かったのかも知れない。


- 追記憶その3 -


私は1人で楽しんでしまっていた。
しかし、それは3回目を迎える頃には、変わっていたのだ。
その『棒』へと向かい、その最後を告げていた。


自らの違法薬物を終わらせる事と『儀式』に対しても。


その時に聞いた声は、回を増すごとに変わって行く。


「早く自分の家に帰れ」


と1人だけ居る私に伝わる。


「これが最後だからと思っている」


と私は伝えた。


その後、私は無事に家へと帰って来るのだ。何も変わらないまま。少しの記憶と思い出をしまったまま。



私は、牛丼チェーン店へ従事し、ただそれをこなしていた。特に将来への希望を持たず、その『棒』は、そこまでも及ぶ。


その『儀式』は、仕事中も続き何故か違法薬物を使用して来ていない時にも及んだ。それは共同生活の時に始まっていた。


私は、それをノイローゼと呼び、自らのせいで終わらせていた。


区切りとして私は、最後を迎えたが、終わりを知らず未だに、私の周りには『棒』や『儀式』がまとわりついている。


これを許した記憶は、無く。
これに巻き込まれた記憶を追って私は、1つの結果へと落ちた。


その穴は『科学』という、誰もが知る穴だった。


私は、1人の人間としてこれを綴り、人へと伝える事こそ、生きる様だと認め追う事を、決定した。

 


一ノ元  健茶勞 より。